それいけ!うめちゃん先生

小学校/先生/青年海外協力隊/現職教員でも無給/パラグアイ/教育

ユニバーサルデザインってなんですか②〜人から得たものをひたすらアウトプットする記事〜

①の記事をアップしてから、すぐに何人かの人から

反応もらいました!ほんまに嬉しくて、わたしも

自分のもってるもの(なんて言うのはおこがましいけど)

ジャンジャン垂れ流しにしていきたいなぁと思います。

(前回の記事はこちらから)

umeboshisakita.hatenablog.com

 

と言うことで、得たものが頭の中でごちゃごちゃして

おられるので、人のものを自分のものにするためにも

この記事でひたすらアウトプットしたいと思います。

(人のものをあたかも自分の言葉で語りたいやつ。笑)

 

前回の記事でユニバーサルデザインの考え方は

「誰もがわかりやすい・誰もができる」が

根本にあると書きましたが、その対象の“曖昧さ”に

唸ってたんやなと思いました。

そう、「誰もがって誰のこと?」って。

 

そもそもこの“誰もが”の原点はマイノリティーをさしてる。

自分のことをマジョリティーとは言いたくないけど、

(これらの言葉きらいや)

そんな社会の大多数から見たユニバーサルデザインの視点は

ユニバーサルデザインになり得るのか?って思って。

 

そこでのH先生の名言はこちら

「一緒におったらその人にとっての不便がわかるねんけど、

一緒におらんかったら妄想でデザインするしかないから。

やし、同質性が高い集団で、ユニバーサルデザイン考えよう!

言うてもなんもでてこんやつ」

 

ひぇえええええええ。目から鱗〜。

 

でも誰でもわかりやすいの誰でもが誰なのかを

ちゃんと考えることが大事だそうです。

ユニバーサルデザインの始まりは

「クラスにいた愛すべき困っている子」!!!

具体的なあの子を想像するのがこの研修会の

キーポイントになってきそうです!

 

誰でもわかりやすい→あの子にとっても

っていう順じゃなくて

あの子にわかりやすい→あれ?みんなにもやったん?

 

逆になり得へんかもしれんけど、

わたし的にめっちゃ大事な気がする!

 

そして、もう一つ話題に出たのが

「個人モデルと社会モデル」です。

 

H先生がわたしにこの画像を送ってきて

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電車降りてこの状況やったらどうする?と。

(京都で一人暮らししてた時の近くの駅まさにこれ。笑

西院。せっまい飲み屋さん行きたいなあ!)

 

どうしますか?みなさん。

この駅ほんまにエレベーターなかった、最近まで。

 

手伝う / 駅員さん呼ぶ / 何手伝うか聞く など

でもその時、急いでたら?てか駅って急いでる人しかおらん。

 

正直、こんなんに遭遇したら「めんどくさい」って思っちゃう。

車イスに乗ってるその人が悪いわけちゃうのに。

これが「個人モデル」

 

「個人モデル」とは「問題をその人の体の中に求めて、

その問題解決の方法もその人個人に求めるモデル」

 

その「めんどくさい」の気持ちをその人の中に向けるの

ではなく、その人の体の外に向ける。

そう、「駅イケてなさすぎ!何考えとんねん!」

これが「社会モデル」

 

「生きにくさはその人の体の外にある」だそうです。

社会の大多数に便利なようにできている世界。

少数派を生きにくくしてるのはわたしたち。

 

この話をしてて、わたしの頭をよぎったのが

重度障がい者を大量に殺して最近裁判が始まったあの事件。

「生きている価値のない人間を殺した」っていう

セリフが頭に残ってるけど、これこそ「個人モデル」で

人を見る社会の空気をうつしだしたような事件。

 

それでも殺したあいつが悪い!と思うのか「個人モデル」

そんな事件を生み出した社会に問題があると思うのか「社会モデル」

難しいですね。

ってまたモヤモヤするわ!笑

 

疲れたしこれぐらいにしますが、UDの研修会の

(個人的な)キーワードは

・誰でもでなくて愛すべきあの子

・意識化

 

かな〜と思ってます。

まだまだどしどし意見待ってまーす!

(これらの文章は全部H先生とわたしのやりとりです。)

わたしの知識・考え方じゃなくて先生のです。笑

そう、完全なるゴーストライター記事です。笑

 

ユニバーサルデザインってなんですか」

乞うご期待!!!