それいけ!うめちゃん先生

小学校/先生/青年海外協力隊/現職教員でも無給/パラグアイ/教育

身をもって感じる「教育の再生産」

ばたばたと4月中旬を過ごし、この前はセマナサンタの
休暇を使い、アルゼンチンはパタゴニア地方にひとり旅。
英語圏かな?と思うほど英語を喋る観光客に出会い、

ドキドキしたり、色んな出会いがあって、
やっぱり、旅の醍醐味は出会いやなぁと感じる。
(忘れられない兄の発言。笑)

f:id:umeboshisakita:20190428064621j:plain

アウトドアブランドPatagoniaのモデルになった山 Fitz Roy!!



それにしても、12日の金曜日は(もう2週間も前になってしまった。

記事を書いてたけどアップせず、ためガチ。笑)

身をもって「教育の再生産」の根深さと言うか、

構造の深さを感じた日やった。

この日の午前中、いきなりこんなことを頼まれる。
「ちょっと保護者会中、子ども見といてくれへん?」
来ました、無茶振り。でもわたしのスタンスは
「もちろん!」(Sí o Sí)学校の一員である限りできることはやる。

でもまたこれが大変で小3、人数は25人前後、部屋は
わたしの仕事部屋で狭い、イスなしで地べたに座る、
教科は算数、それを一人で見る。

f:id:umeboshisakita:20190428064737j:plain

もちろん写真はないので、6年生の写真


超簡単な10の合成分解の確認→ゲーム→簡単な引き算の筆算
という流れ。というのも、15-8などの簡単な問題も
みんな手でする。8から足してく。そう、引き算ちゃうねん。
もちろん、それも一つの方法!それでもいいんやけど...
10の合成分解が身についたら10からとって...
の考え方ができるから、と思いこの内容。

ゲームへの食いつき、集中力、思いの外素晴らしかった。
よーし!と思ったのも束の間、このゲームを終え、
「終わり」と言って、活動が一つ終わったら
子どもたちの集中力が一気に切れてしまった。

それからもなんとか子どもの集中力を続かせようと
ありとあらゆるできる限りのことをして
やり切った45分ほどの指導の中で悲しくも
気付いてしまったことは、

黒板を模写させることが子どもが一番静かに過ごす
そして、
そうすることが一番教師が楽

ということ。今回の授業ではミニホワイトボードで
学び、模写は一切させてない。
子どもたちにとって「模写は終えなければならない作業」

しかないし、そこに学びは感じられへん。でも模写させる
気持ちもわかんなぁと思ってしまった矛盾。うおおお
アメリカの研究のラーニングピラミッドからも
学びの質としてはかなり低いけど、共感してしまった。うおおお

f:id:umeboshisakita:20190428064830j:plain

あつし先生によるアクティブラーニング講座において


そう、先生たちがそのやり方から
変えようとしない気持ちをかなり実感したし、共感した。
共感ってある意味全てのスタート地点じゃない?
(任地来て9ヶ月ぐらいたったけど?笑)

でもそのめっちゃ共感したわ〜!をゴリおしして、

一緒に悩んでる感出して歩みよりたい。

さらに難しいと感じたのは、規律が育っているから
こそ教材が力を発揮するということ。
規律がない中で、教材を使って学ぶのはひどい事態
しか起こりえない。でも、教材を使いながら規律を
教えていくことはできるというのもよくわかった!
だってみんな 使いたい から!!!

長々と書いて、やっとタイトルに戻ります。
何が「教育の再生産」なのかというと、
みんな自分が受けた教育を繰り返す。
(もちろんみんなではない、多くが)
ここでは黒板のたくさんの字を模写させることが授業。
その根は深いということ。そう、思ってる以上に。

でも時代と共に変わるのが教育やし、
それに合わせていくのが先生の仕事やと思うねん。

でもな、どこからどうアプローチしようか、
迷ってる。迷ってる、というよりはわからんのかも。
内なる動機がないところから、どうするか。
子どもの動機付けは簡単やけど、大人の動機
付けはめっちゃ難しい。難しいからこそおもしろいし、
楽しんでいきたいところ!

この3年生が1年を終える頃、先生の指導を通して、
どう成長しているか、見ものやなぁと!!
そこにどれだけ貢献できるか、頑張ろう!