それいけ!うめちゃん先生

小学校/先生/青年海外協力隊/現職教員でも無給/パラグアイ/教育

自分のでこぼこさを知ること

先日、同期隊員のブログを読んでて、激しく共感した

記事に出会った。それがこちら。 

www.satoruendo.com

ほんまに「うんざり」違いを認めず受け入れない雰囲気

でも「うんざり」の裏には

このブログの筆者さとるがよく使う言葉

「伸びしろしかない」状況。

せっかく感銘を受けたからこそ、わたしも

自分の今の考え、感じていることを残したいと思った。

 

小学校で働いて3年目、5年生を担任した。

初めての高学年、そこで感じたのは

異常なほどの同調圧力だった。

 

でもこれは大学の時に感じたものと似ていた。

教育学部に通ってたわたしは先生を目指す集団に中で、

みんなが同じ方向に向かって(教師になるという目的)

進んでいることが自分には腑に落ちなくて3回生で

行くはずの実習に行かずに、もう一回教員になりたいんか

考えたりもした。けど、やっぱり行き着いたのが、

「教育こそ世界をより良くできる!」

(これは今でもほんまにそう思ってる)

あと入ってたゼミに多様な人がいたことと、そういう人との

繋がりが多くて、「あーそんなんもありなんやなぁ」って

自分の居場所が教育学部以外にもあったことが大きかったなぁと

改めて思う。(ゼミももちろん教育学部のゼミやけど、

やっぱあのゼミの先生、ゼミ生最強説)

 

さて話は戻して、その5年担任でわたしは初めて不登校の子をもった。

またこの親子がめちゃくちゃステキで、人として

ほんまに成長させてもらった。

 

でも、学校のクラスでのその子との関わり方、子どもたちの

関わらせ方はとても難しかった

例えば、何かの授業中、眠そうな子がいたら、

「眠い時あるよな、わかるわ〜顔洗ってき」って言ってた。

(今なら誰か眠そうなら1曲踊るかー!って言って

ラテンな曲でみんなで踊りたい。笑)

でも、その子に対しては、何も言わない。寝かせたまま。

もちろんみんなに事情は話す。生活リズムが乱れて昼夜が逆転してること、

そんな中、学校に来たこと。でもどこまでその子の事情を

話すのかも、めちゃくちゃ際どい。

 

この歳の子たちは、「特別扱い」にめちゃくちゃ敏感。

でもこれは「特別扱い」じゃない。その辺の曖昧さを

クリアには出来てなかったなぁと思う

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「平等」と「公平」の違いって難しい。

そんな一つ一つの難しい決断が常にあった。

これでもかと感じた「同調圧力」を壊すのは

難しすぎた。人と違うところを受け入れるって難しい。

どうしたらもっと誰もが生きやすい学校・社会に

なるんやろう、って、本読んだり、ヒントになりそうなとこに行ったり。

そこで今でも自分の中に残ってるヒントがこれ!

「自分のでこぼこさを知り、認めること」

 

まん丸な何でもできるような人はいなくて、

でも多くの人は自分をパーフェクトに見せたくて、

からしんどい。生きづらい。

だからこそ、自分のでこぼこさ(得意不得意って言うんかな)を

知って、認めることで、足りない部分は誰かが補ってくれるし、

逆に誰かの足りない部分を自分が補うことだってできる。

「同じである」意味なんて、必要性なんて全くないってこと。

(これって大人になってから実感する話じゃない?

子どもの頃なんて...わたしは何も考えてなかったし、

感じてなかった。笑)

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校内でしたプレゼンのありのまま感。恥

「その通りやぁ〜〜〜〜!」ってなったけど、

それを体現していくことや小さい頃から経験させる

ことが、教師の使命の1つかなと思う。 

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自分を知り、相手を知ること、とは。

 

わたしが彼女と過ごして目指したのは

「彼女を応援するいつでも味方の一人になること」やった。

 

学校の文化ってやっぱり異色

でも色んな可能性があっておもしろい。

公教育やからこそできることがあると思う。

 

改めて考えるキッカケになった同期隊員のブログに感謝。

(もう1度リンク貼っとく)

www.satoruendo.com